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オンライン上仮想空間的に生活を営むようになった時に、
改めて身体性というものが問われるのではないか?
という問題提起的な話が続きます。
身体(運動)の自由度、自在化を獲得する過程を経た上で
仮想的な空間での活動があるべきだろうという、
バランスの問題ではないかと思います。
“kisuの徒然草 in motion”では、
スクワットの研究はいがなことにあまり行われていない
という話から始まります。
スクワットとう言葉にどういう動きを規定していくか?
道具を使うか使わないか、
なんのために行うのか?
その辺の理解と了解、コンセンサスがないと、
あまりに多くのバリエーションがあるために、
なんのための・どういう意味のトレーニングなのかが
見失われていく可能性もあるなと感じます。
もっとスクワットについて深めていく必要性を感じながら、
スクワットの話は今後も続きます。
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